脱毛の歴史を調べてみた

さて脱毛の歴史について書きたいと思います。

歴史というのは過去にあった出来事に何かしらの個人的解釈を加える事だと私は思います。

よって文献を参考にしながら私なりのエッセンスを加えて記述させていただきます。

脱毛は紀元前から、土地、文化、宗教的な背景で様々な配合によるペーストや貝殻を用いる方法など存在していました。

このサイトを立ち上げるために改めて過去の歴史を追いかけてみてます。(私は歴史学者ではないので)

学術的なエビデンスを含め様々な文献を読み漁っているのですが、”ためになる”という点で今回は本屋さんやamazonで手にしやすい枕草子と、レーザー脱毛生みの親であるアメリカの文献から脱毛の歴史を語っていきたいと思います。

日本における脱毛の起源

まずは日本の脱毛はいつから始まったのでしょうか?

平安時代「枕草子」によると、

毛のよく抜くるしろがねの毛抜き

枕草子「ありがたきもの」章より引用

とあります。

平安時代に中宮定子に仕えていた清少納言の随筆です。「春はあけぼの」でピンとくるでしょうか。自然・日常について自由なままに心をめぐらせたこの作品は脱毛についても”いとおかし”な部分があります。

前述した”毛のよく抜くるしろがねの毛抜き”という記述です。

私が想像するのは、このフレーズは当時の女性達に毛の処理が、しかも毛抜きによって既に存在していた事となります。

平安時代の女性は、現代でいう成人式である「裳着(もぎ)」という儀式を十代前半で行います。大人の女性になり結婚ができるようになります。

裳着を済ませた女性は日常に化粧をするようになります。

顔には白粉(おしろい:枕草子では”しろきもの”という記述)を。眉は高い位置に書きます。

そこで、本来の自分の眉を抜く際に清少納言を始めとする女性達は白金の毛抜きを使っていたのかなぁと私は当時の情景に思いを馳せてしまうのです。

当時はもちろん着物文化ですので、露出するのは顔、手先ぐらいでしょうか。

顔の毛の手入れに鏡の前でじっとにらめっこをする女性達

なんだかすごい昔の話なのにやっていることが現代の私たちと変わらないなんて、親しみが湧きますね。

アメリカ脱毛の起源は

話はアメリカへ。。。

T・ジェファーソン著「バージニア覚書」(1785)に毛についての記述が一部あります。

ネイティブアメリカンと入植民の体毛について記述がありますが、本題と逸れるため割愛しますが、この時代のアメリカと脱毛について、人類学者をはじめとする人々はこう思ったそうです。

「ネイティブアメリカンに髭が無いのはなぜか?」

ネイティブアメリカンと言っても様々な部族がありますが、手製の毛抜きサメの歯や貝を加工した道具など、当時の人々が使用した毛抜きは多岐に渡っていました。

毛抜きの方法も髭を抜く・剃るのほか、毛先を焼き切る(!)こともあったそうです。

1回だけの激痛ならまだ我慢もできるのでしょう(私は無理)けれど、繰り返し伴う痛みに耐え、熱心に行う事が当時の人々の中でも理解しがたい人もいたでしょう。

痛みに耐えてでも毛のない肌を手に入れたいという思いが250年以上前から続いていたなんて、決して他人事とは思えませんね。

18世紀になると、女性の美についての概念として現代と同じ「シミ一つ傷一つ無いツヤのある顔」が良いという意識が確立されていきます。

私はこの考えに脱毛が大きく関係していると思っています。当時の女性は顔の毛の処理に何が入っているかもしれないペーストを塗り、肌を痛め刃を当て傷を作り、毛の処理を怠るとしっかりとした毛が顔の一部に生えツヤさえ失う。憧れとしての白磁(白いつるんとした陶器)だったのではないでしょうか。

特に顔そりにおいてはそれを行うのは理髪店。。。

行けるのは富裕層の男性ばかり。

未熟な理髪師にあたると血の海だった事でしょう。

よって女性の毛の処理のニーズがそこまですくいきれてなかった時代であるとも言えます。

20世紀になろうとする頃の安全カミソリの出現が根本解決ではないにしろ、いかに多くの男性、特に女性に貢献したことでしょう。

毛が生えるのに富裕層かそうでないかなど関係ありませんからね。

19世紀に入ると手製であった脱毛ペーストが出来合の粉末やペーストへと移行いきます。

決して明らかにされない配合には毒性のものもあり、一部の専門家の健康被害に関する指摘を他所にどんどん市場は拡大していきます。

「死」をも覚悟の脱毛だったのでないでしょうか。

顔に毛が生えることに嫌気がさし、「誰にも会いたくない、外にも出たくない食事も喉を通らない。。ならば脱毛剤を買ってみよう」と考える心理が芽生えていきます。きっと私もこの時代に生きていたら脱毛剤に手を出していたと思います。

1870年代、ニードル脱毛が出現します。ニードル脱毛とは、電流を帯びたニードルを毛穴に挿入して毛根などを熱で破壊し、毛が生えてこなくなるといった仕組みです。

一見、画期的に思えますが人間の腋毛を例にすると片側で100本から200本などでは済みません。

このニードル脱毛はつい最近まで主流の施術で、私が今の仕事に就いた当時、脱毛患者の半分がニードル脱毛でした。

腋毛はだいたい1回の施術で片脇で500本から800本、2回目は200本から400本という感じでした。

そして3回、4回、5回と繰り返し毛がどんどん減っていく、という流れです。よって時間がかかりもちろん金額的にも安いものではありませんから費用もかかる。

そして一番患者さんが訴えていたのは、脱毛によって生じる痛みでした。ニードル脱毛の痛みに耐えるため、1870年代では痛み止めにコカインを使用した例もあるほど。

ニードル脱毛のメリットは何より効果が現在のどの脱毛よりも効果があること。

1890年代のアメリカ脱毛事情

1890年代、医師らによってX線脱毛が考えられます。「科学」としての脱毛のふれこみのもと、そのコピーもまた消費者の興味をそそりました。ヨーロッパの一部の医師からは放射線についての危険性の指摘も多くありましたが、「白くつややかな肌」への憧れに「科学」というセールスポイントも後押ししどんどんと市場は拡大していきました。

今で言う「紹介割引」のようなマーケティングもX線脱毛にはあったそうです。

1940年代

1940年代にはX線脱毛の終焉が来ます。

健康被害が多数報告されるようになり、僅か半世紀でX線脱毛は姿を消しました。

ウーマンリブの普及とともに某大手出版社では今までとは違う表現をするようになりました。

「余分な毛」「過剰な毛」から「ムダ毛」へと変わりました。

そして毛に対する意見は時代を経て、昔も今も止むことはありません。

「ありのままが素敵」「ムダ毛のない自分が好き」「毛に関心がない」

どれも間違いではありません。どれも正解です。自分らしくある事、もしそうする事をムダ毛が邪魔しているのなら、脱毛をすれば済む話です。

1997年

1997年、ついにレーザー脱毛機がアメリカから日本に入ってきます。

そして現在に至るのです。私の脱毛施術経験はニードルからレーザーへと変わりました。

つい最近の事のようです。初めて某社のレーザー脱毛機を見た時はこう思いました。

「なんて大きいんだ」

と。そしてその時は自分自身、脱毛の歴史を調べてみようとは思いませんでした。私の美容業界での17年の歴史は脱毛とともに歩んだ歴史なのです。

今こうして脱毛の歴史について読んでくださった方と知識を共有できとてもうれしく思います。拙い文章を読んでくださりありがとうございました。

参考文献

レベッカ・M・ハーシグ著「脱毛の歴史 ムダ毛のめぐる社会・性・文化」